柔道の祖である嘉納治五郎は、1860年10月28日、海運業を営む嘉納治朗作の三男として、神戸近郊の御影で生まれました。11歳のとき、彼は家族とともに首都の東京へと移り住みます。17歳になると、東京帝国大学に入学し、政治学及び経済学を修めます。しかし政治的な分野に職を得ることを欲しなかった彼は、教育学部へと転籍します。卒業の1年後、彼は哲学の講師となり、やがて教授へと昇進、また副学長へと出世します。

彼は、日本人のなかでも小柄で華奢な方でした。同級生たちのなかには、粗野で暴力をふるうことで目立とうとする者もありましたが、小柄で寡黙な彼は、そういった奴らの格好の餌食でした。しかし彼はやられっぱなしではありませんでした。鉄のばねのように、押さえつけられても決してつぶれることのない、鋼の意志が彼の中には宿っていたのです。彼は、そういった奴らと戦い、勝つための方法を求め、そしてそれを見つけ出したのです。